はじめに
「家ではうるさいくらいしゃべるのに、学校や塾では一言も話さない」
「先生に質問されても、固まってしまう」
「友達がいないわけじゃないのに、自分からは話しかけられない」
お子さんにこうした様子はありませんか?
これは「場面緘黙(ばめんかんもく)」と呼ばれる状態です。
場面緘黙は、わがままでも反抗でも性格の問題でもありません。
話したいのに、話せない——それが場面緘黙です。
この記事では、場面緘黙の仕組みを理解し、ご家庭と塾でどのように支えていけるかをお伝えします。
第1章:場面緘黙とは何か
「話さない」のではなく「話せない」
場面緘黙(選択性緘黙)とは、家庭など安心できる場所では普通に話せるのに、学校や塾など特定の場面で話すことができなくなる状態です。DSM-5(精神疾患の診断基準)では不安症の一種に分類されています。
決して珍しいものではなく、約500人に1人の割合で見られるとされています。小学校の全校生徒で1〜2人はいる計算です。
よくある誤解:
- 「おとなしい性格なだけ」→ 性格ではなく、不安による症状です
- 「親のしつけが悪い」→ しつけとは無関係です
- 「話す気がない」→ 話したいのに体が動かないのです
- 「放っておけば治る」→ 適切な理解と支援がないと長期化します
- 「家で話せるなら甘え」→ 家は安全地帯だから話せるのです
特に最後の誤解は根深いものです。「家ではあんなにしゃべるのに」と思うと、「やればできるはず」と感じてしまいます。でも、それは「高所恐怖症の人に、地上では平気でしょ?」と言っているのと同じです。
第2章:なぜ話せなくなるのか
不安が「声」を止める
場面緘黙の子の脳では、特定の社会的場面で扁桃体が過剰に反応しています。扁桃体は「危険を察知するセンサー」です。通常なら「先生に話しかけられた」程度では反応しませんが、場面緘黙の子の脳は、それを「危険」として検知してしまいます。
すると、体は凍りつき反応(フリーズ反応)に入ります。
- 喉の筋肉が硬直する
- 声帯が動かない
- 体がこわばる
- 表情がなくなる
これは「闘争・逃走・凍結」反応の「凍結」です。つまり、話さないのではなく、脳が体にブレーキをかけているのです。
「恥ずかしがり」とは違う
内気な子は、慣れてくれば話せるようになります。場面緘黙の子は、何年同じ環境にいても話せないことがあります。
- 内気な子:緊張する → でも頑張れば話せる
- 場面緘黙の子:話そうとする → 体が反応しない → 話せない
第3章:場面緘黙にもグラデーションがある
場面緘黙には、様々な程度があります。
レベル1:完全緘黙 — 家族以外の人とは一切話せない。学校で声を出すことが全くできない。
レベル2:選択的緘黙 — 特定の場面で話せない。仲の良い友達1〜2人とだけ小声で話せる。
レベル3:軽度の場面緘黙 — 集団の中で自分から発言できない。指名されると小さな声で答えられる。
レベル4:緘黙傾向 — 特定の場面で急に口数が減る。緊張場面で単語でしか答えられなくなる。
塾で見かけるのは、レベル2〜4が多いです。「全く話せないわけではないが、明らかに話せる場面と話せない場面がある」——そんな子は少なくありません。
随伴する症状:
- 動作の緘動(体が固まる、動けなくなる)
- 食事ができない(給食が食べられない、塾でお茶が飲めない)
- トイレに行けない(人に「行きたい」と言えない)
- 文字が書けない(見られていると手が動かない)
- 表情がなくなる(「仏頂面」に見える)
これらは全て、不安による凍りつき反応の延長です。
第4章:やってはいけない対応
「話しなさい」は最悪の一手
NG対応1:話すことを強制する
「ちゃんと声出して」「挨拶しなさい」「なんで黙ってるの」——こう言いたくなる気持ちはわかります。でも、話すことを強制すると、不安はさらに強まります。プレッシャーをかけられるほど、その場面が「怖い場所」として記憶に刻まれます。
NG対応2:人前で指摘する
「この子、恥ずかしがり屋で」「ほら、先生に挨拶は?」——子どもにとっては「自分はおかしい子なんだ」と突きつけられることになります。
NG対応3:無理に場面に参加させる
「発表会に出なさい」「電話に出てみなさい」——恐怖の場面に無理やりさらすことは、トラウマになりかねません。
NG対応4:「気持ちの問題」で片付ける
「気合いが足りない」「甘えてるだけでしょ」——場面緘黙は意志の問題ではありません。
第5章:家庭でできるサポート
基本方針:「安全基地」を守る
家庭は、場面緘黙の子にとって唯一の安全な場所です。
① 家では自由に話させる
「外で話せないのに家ではうるさい」——これを叱らないでください。家で話せることは健全なことです。
② 外での様子を問い詰めない
「今日は学校で話せた?」——こうした質問はプレッシャーになります。子どもが自分から話すのを待ちましょう。
③ スモールステップで「話せる場面」を広げる
- 家族といつも通り話せる(ここは既にクリア)
- 家に友達が来たとき、家族がいる前で話す
- 友達の前で、親がいない状態で話す
- 塾で先生と1対1で話す(最初はうなずきから)
- 少人数の場面で短い言葉を発する
- 集団の中で小声で発言する
一つステップを上がったら、そこに十分慣れるまで次に進まないことが大切です。
④ 「話せた」ときの対応
「やっと話せたね!すごい!」——嬉しくて褒めたくなりますが、大げさな反応は逆効果です。子どもは「話すことは特別なことなんだ」と感じてしまいます。さりげなく受け止めるのがベストです。「うん、そうだね」——それだけでいいのです。
⑤ 専門家への相談
- スクールカウンセラー(学校配置。無料で相談可能)
- 児童精神科・心療内科(医学的な診断・支援)
- 言語聴覚士(話すことへの段階的アプローチ)
- 教育相談センター(各市区町村に設置)
「そこまで大げさにしなくても...」と思うかもしれません。でも、早期に理解者を増やすことが、回復を早めます。
第6章:塾での取り組み
当塾では、場面緘黙の傾向がある子に対して、「話さなくていいルール」を設けています。
- 答えはノートに書く、指で示すでOK
- わからない時はペンを置く、特定のカードを出す
- 挨拶は会釈でOK
- 質問がある時はメモを渡す
「話さなくてもいい」とわかった瞬間、子どもの表情が変わります。安心すると、不思議なことに、少しずつ声が出るようになります。
段階的なアプローチ:
ステージ1:非言語コミュニケーション(うなずき、ノート、選択肢カード)
ステージ2:小さな声(「はい」「いいえ」を小声で、1対1の環境で)
ステージ3:短い文(答えを文で言う、「わかりません」が言える)
ステージ4:自発的な発言(質問ができる、自分の考えを言える)
ステージの移行は子どものペースに任せます。無理に次のステージに進めることはしません。
第7章:場面緘黙と学力
「話せない」ことは「わかっていない」ことではない
場面緘黙の子は、理解力や学力に問題がないことが多いです。むしろ、人の話をよく聞いていて、観察力が優れている子も少なくありません。
ただし、以下の場面で不利になります:
- 口頭テスト・面接:答えがわかっていても言えない
- グループワーク:参加できず評価されない
- 授業中の発言点:内申点に影響する
- 質問ができない:わからないところを聞けずに放置
当塾では、場面緘黙の子の学力が不利にならないよう、工夫しています:
- 書く力を伸ばす:話せない分、文章力で表現できるように
- テスト対策:筆記で実力を発揮できるよう重点的に
- 質問しやすい仕組み:メモやチャットでの質問を受け付け
- 理解度チェック:口頭確認ではなく、ノートや小テストで確認
話せなくても、学力は伸ばせます。
まとめ:場面緘黙への5つの対応原則
- 話すことを強制しない——「話さなくていい」が安心の第一歩
- 非言語コミュニケーションを認める——うなずき、筆記、ジェスチャーもコミュニケーション
- スモールステップで進む——焦らず、子どものペースに合わせる
- 「話せた」ときに大げさにしない——さりげなく、当たり前のように受け止める
- 理解者を増やす——家庭、学校、塾、専門家で支える
場面緘黙は、「話したくない」のではなく「話せない」状態です。理解されないまま放置されると、二次的な問題(不登校、うつ、社交不安障害)に発展することがあります。
でも、適切な理解と支援があれば、多くの子が改善します。
お子さんの「沈黙」には意味があります。その意味を理解することから、支援は始まります。
参考文献
[1] American Psychiatric Association (2013). DSM-5
[2] Bergman, R. L. (2013). Treatment for Children with Selective Mutism. Oxford University Press.
[3] Johnson, M., & Wintgens, A. (2016). The Selective Mutism Resource Manual. Routledge.
[4] Muris, P., & Ollendick, T. H. (2015). Children Who are Anxious in Silence. Clinical Child and Family Psychology Review
[5] かんもくネット (2008).『場面緘黙Q&A』学苑社.